広島、平和を誓う日 (2020年8月6日)

宮古島からこんにちはー

今日も熱々な宮古島。
まさに海日和、プール日和♪♪
と言いたいところですが、コロナの影響で今年は夏が夏ではない状況ですね。
こんなに人が少ない夏の宮古島、起こるんですね、、、こんな事。

明日7日から20日までは宮古島も居酒屋さんや接待を伴う夜のお店も休業要請が出たので
〆るお店が多数出ます。
観光で来島された方の外食は不便が出そうですね。

今日は広島原爆の日。
75年前との事で、自分らで言うと、おじぃーおばぁー世代。
今の我々の下の代(子供世代)では、もはや戦争について語れる方も
居なくなってしまう為、平和である大切さ、代々繋いでいかなければいけませんね。

平和が一番。 それだけですね。。。

↓↓ 胸が痛む記事があったので引用させて頂きます。
長いのでお時間がある時にでも読んでみて下さい!
それでは、本日も一日ありがとうございましたm(__)m

広島は、地獄のようでした。

被爆し、顔も体も赤黒く腫れた人たち。
体から垂れ下がっているのは、剥がれた皮膚なのか、破れた衣服なのかも分からない。
体に触れると痛いんでしょう。手を前にぶら下げて指を開き、脇を開いています。
兵舎として使っていた校舎に、続々と押し掛けてきました。

8月6日、私は陸軍の広島第二総軍司令部に所属し、爆心地から2・8キロ西の国民学校にいました。

朝から、じりじりと暑い日でした。
雲一つない空に、旋回する米軍機が見え、茶褐色の物体をつり下げたパラシュートを落としました。
何だろう、おかしいなと思ったら、突然の強烈な光。
音が一瞬なくなり、とっさに伏せた体に熱風が走りました。
何が起こったのか、分からなくなりました。

地鳴りが静まり、巨大なきのこ雲と、虹のような火炎が上がっているのが見えました。

校舎にやって来る被爆者は、「兵隊さん、水をください」と求めてきます。
私は実家が薬店だったので、とっさにやけどにはラード(油脂)だと思い付き、食糧倉庫から取り出して手当てしました。

肌に塗ると、トマトの皮のようにずるっとむけます。
傷口にラードを押し込みました。何十人も手当てする途中で、目が見えにくくなって手でこすると、血がべっとり。
私自身の頭のけがに初めて気が付き、自分でラードを塗りました。

きのこ雲は北西に棚引き、後に黒い雨を降らせた薄黒い雲に変わりました。

暗くなってにぎり飯が配られ、近くの人たちと分けました。
倉庫から「お母さん、痛いよ」と泣き声が聞こえ、女学生らしい3人がいたので、「安心して寝なさい」と声を掛けました。翌朝、1人は亡くなっていました。

残る2人は目をけがしていたのか、ハンカチで目やにを拭いてあげると、わずかに瞳が見えました。
「兵隊さんの顔が見える」と喜んでくれました。

7日午後になって、市街地に行きました。
荒れ果てた平たい大地となり、市電も鉄枠の骨組みだけの残骸です。
川には無数の死体が浮き沈みしていました。
練兵場では火葬が始まり、異臭とやけどの悪臭が混ざり、とても食事は喉を通りませんでした・・・